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「日の丸」・「君が代」問題を考える。


日の丸・君が代

投稿者名:林  幸三
投稿日:Thursday, December 19, 2002 at 18:39:43

 私は74歳、現在、和歌山大学経済学部科目別履修生です。和歌山大学の修士課程を修了。その後、大学の先生方のお仕事に魅せられて5年間和大に住む古狸です。

 私は神戸市栄町通りの貿易商の長男として生まれました。父は金屋町丹生の亀井家の三男として生まれましたが、水のみ百姓の三男は神戸の玉田米穀問屋に養子としてもらわれていきました。父はその前後、日本陸軍に志願しました。これが災いの元となって定期的に地もとの篠山連隊へ訓練のため出頭していました。日中戦争、世界第2次大戦になると、毎年のように赤紙(召集令状)が来ました。貿易商、ゴム工場長等、仕事が成功しかけると赤紙が来るのです。そのたびに日の丸、君が代で送られて召集されました。父が中国侵略戦争に参加した頃は,地図の上に日本軍が陥落させた上海、南京、広東と日の丸をピンで留めました。バイヤス湾上陸作戦でマラリアにかかり、台湾台北、高雄、内地の広島、白浜と陸軍病院を転々としました。つど、日の丸の慰問袋を持って見舞いに行きました。

 私にとって人生の初めは日の丸、君が代、そして教育勅語でした。それが、今日、孫たち・u桙フ学校で公式に取り上げられて掲揚,斉唱されています。うかうかしていると民間から採用された校長さんが教育勅語を朗読するということになりかねません。国民を不幸にする日の丸、君が代に反対します。

 自称「語り部」より。

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日の丸・君が代の押し付けに反対!!

投稿者名:H・真砂
投稿日:Wednesday, July 28, 1999 at 14:20:49

 私は公立学校の教員です。十年前から日の丸・君が代を指導するものとうたった指導要ができてから現在に至るまで、学校現場は、入学式、卒業式をめぐって大きな論争が職員間でされてきた。しかし、私たち公務員は個人の思想、良心の自由の尊重が侵されるこの要領に反対してきた。私たち公務員は、憲法・教育基本法にうたわれた豊かな人格の形成、平和主義、国民主権の精神を伝えるために力を注いできました。

 今 国会にあわただしく上程され、衆院通過した日の丸、君が代法案は、NHKの7月27日の放送で解説委員が論じたように二百数十万人の戦争犠牲の上に築かれた現憲法の国民主権から大きく逸脱したものと私も考えます。

 憲法19条、思想良心の自由を守ることを私たちはこれからもいかなることがあっても守りぬきたいと考えます。また、同法98条でも再度この法律を国の最高法規と定め、この条規に反する法律はその効力を有しないことがうたわれている。昨年の国体開会式で、日の丸掲揚・君が代斉唱に立たなかった2人を警官がトイレにも行かせず尋問したり、中学総体会場で大会長が「起立しなかった者はこの会場から出て行け」などの個人の不当な侵!害がもう起こっている。

 私は、このような国内の動きを聞くにつけ今の国旗・国歌法案法制化はある意味で戦前の治安維持法とうりふたつではないかと怒りをもって指弾するものである。日本は天皇の国ではない。我々国民の国だ。

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歴史の重みの中で

投稿者名:元県立高校校長
投稿日:Saturday, July 24, 1999 at 14:04:29

 私は広島市内で一兵士として被爆しました。一瞬の閃光に廃墟と化した市街地を幽鬼のように彷徨しながらも九死に一生を得て今日にいたっていますが、かれきの中に横たわる無数の犠牲者の悲惨な情景は、今日においてもなお胸に焼きついて消えることぱありません。

 日の丸・君が代を背負って生きてきた私たち世代の者にとって、胸中消えることがない戦争のこの惨状と、「日の丸」「君が代」の問題を、どう結びつけて考えなければならないのか。戦後の歴史は必ずしもそれを明確には位置づけていません。この問題に関する限り、戦後50年の時間を無為に過ごしながら、今どうしてこれほど性急に結果を得ようとしているのか、理解できないのです。

 「お兄ちやん、お水を」と手を差しのべ近寄ってきた少女のあの視線、その視線の鋭い痛みが、私の胸から消えない限り、歴史の重みの中で全国民一人一人の心をいやす幅広い話し合いが必要ではないか。私はそう思うのです。

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「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」とすることに反対します。

投稿者名:和歌山大学教育学部教授 原 通範
投稿日:Friday, July 23, 1999 at 9:37

 私は『現代健康・スポーツ論』という、200人あまりの学生を対象とした基礎教育科目において、「スポーツ」の語源がラテン語のde-portare(deはaway、portareはcarryで)'気晴らし'や'楽しみ''自由'を意味する語であるということから、スポーツを愛する人々にとって「国旗」・「国歌」=「敬いなさい」・「唱いなさい」と」強制するのは間違いであると講義してきた。

 しかし、今年入学してきた大学生には「君が代」を国歌として馴染んできた人たちも多く、「いまさら、馴染んできたものを『国歌でない』といわれても困る」との意見」が意外にも強くはね返ってくる。よく考えてみれば、1985年に小中高校に「特別活動の実施について」という調査が出されてから教育現場への締め付けが強くなり(山原健次郎氏、衆議院本会議での反対討論で)、また1989年の学習指導要領から「指導すること」と明示されたので、潜在レベルに植え付けられてきたのが今の大学1年生たちであるといえようか。

 「3つの魂百まで」と言うが、やはり教育現場で繰り返し流されるということはとても恐ろしいことだと認識する。

 一方で日の丸・君が代問題で学校内に一定の論議があり、君が代の意味などを学習してきた子どもたちには批判の声が強いと感じた。あと衆議院で今後どのように論議されるかに焦点が移されたが、たとえ法制化されたとしても、この問題については批判の声を絶やさないことがとても大事だと思う。国際的儀式のための「国旗・国歌」はそれなりの役目を果たすだろうから、そのこと自体に反対するつもりはない。が、「日の丸」「君が代」はどちらもその名にふさわしくないと考えている。

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国旗国歌法案について

投稿者名:TOSHI URANO
投稿日:Thursday, July 22, 1999 at 22:58:04

 今朝の朝刊を見て、法案が衆議院を通過したそうですが、審議内容が国民の前によく見えないままに採決されています。少ない情報の中でも明らかになっている「天皇の国が未来永劫に」等という内容の歌を簡単に決められて良いのでしょうか?

 マスコミ各社の世論調査でも正に賛否両論で、とても国民の合意が得られてるとは考えられません。

 「アピール」には全面的に賛成でもっと開かれた本当の意味で国民的な討論が出来るように政府や行政機関も民主主義の場を設けるべきです。

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なぜ反対するのか理解できません

投稿者名:25歳会社員
投稿日:Wednesday, July 21, 1999 at 17:59:36

 なぜ、日の丸、君が代に反対するのかが、理解できません。

 一つ、例をあげれば先の大戦で、日本軍が使用して、アジアの人からのイメージが悪いから、、、って、意見、新聞で見ました。

 んじゃ、旗、かえたから、日本人のイメージが良くなるというんですか?

 それは、ただの、問題のすりかえでしかないとおもいます。

 その、悪い、日の丸のイメージを、どうしたら、良いイメージになるのか、戦争のイメージから、平和のイメージに日の丸をかえるため努力するのが、日本人としての責任だと思います。

 また、国歌についても、君が代、、、の「君」が、天皇であるということに、異論を唱えている人もいますが、象徴としての天皇の世が、ずっと続く、、、ということは、日本という国家が平和に続いていく、、、というふうに考えて自然だと思います。

 確かに、無理矢理、強制的に国旗国家を、数の理論で制定しようとするやりかたはまずいとは思いますが、それと、日の丸、君が代を認めないというのは違う話ではないのかなぁ?って、まぁ、これ、普通の人の意見です。

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日の丸、君が代の反対を強制することを反対

投稿者名:「良識ある」日本国民
投稿日:Wednesday, July 21, 1999 at 15:24:48

 私は以前から思っていましたが、教職員組合や某政党が「日の丸」「君が代」に関して反対するように強制を行っているのが不快でした。

 何故、今まで議論し尽くされてきた事を「議論されていない」と嘘をつき、自分たちの主張を押し付けようとするのか解りません。

 日本の国歌が「日の丸」である事は古くは鎌倉時代の文献にもあります。

 それを「法制化されていない=憲法に明記されていない」と言う理由で反対していたのは誰でしょうか? 今更ながら、いざ法制化されようとしたら反対する。その理由、その行動は矛盾してないでしょうか?

 また、安易に「日の丸」「君が代」を戦争に繋げてしまうその理由もわかりません。他国の方には云々と言うのならば、私達が星条旗を嫌っているから、アメリカでは星条旗をあげてはならないと言う事になります。全くもって、幼稚な理論!

 自国の歴史に誇りを持てない人間が、一体、「国歌」「国旗」について意見できるのでしょうか?

 私にははなはだ疑問です。

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法制化の意味

投稿者名:28歳 会社員
投稿日:Wednesday, July 21, 1999 at 12:37:59

 今どうして『法制化』なのでしょう。それは学校の現場などで日の丸を国旗と認めず、君が代を国家と認めていないからではないですか?だからといって法でも無理矢理強制するのは、果たして本当に民主主義国家のすることなのか? といった意見が多数あります。

 では何故反対なのかというと、君が代については、誰がどう読んでも天皇家を中心とする国家の繁栄を願う文なのに、象徴天皇がどうだのと苦し紛れの発言を繰り返すから、よけいに議論が空回りしてると思います。政府は反対意見を恐れずにはっきりと、「君が代は天皇家の繁栄を願う歌であり、それは天皇を中心として形成された日本国家の歴史に基づき、過去、現代、未来と国家の繁栄を願う歌である」と言って、国民に理解を求めるべきではないでしょうか。

 日の丸については、侵略戦争の象徴であるからという反対意見が多いですが、それは闇雲に第二次大戦を侵略戦争と位置づける欧米の洗脳があるからです。近代史において、日本民族が生存と繁栄のために幾度もの戦争を頑張ってきたときの旗印ともいうべき日の丸を掲げるということは、我々の先祖の努力と功績に感謝し、それを子孫へと伝え引き継いで頑張りつづけようということではないでしょうか。だから日の丸については私は大いに賛成なのですが、国会の審議はあまりにいいかげんだし、寝てる人もいるしね。

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投稿者名:石川 光一
投稿日:Wednesday, July 21, 1999 at 06:02:39

 私も今の政府の強引なやり方を大変腹立たしく思い意見を自分のホームページに載せています。 http://www.linkclub.com/~koichi1

 が、なによりも納得できないのが数をたのんで国民全体に関わることを国民全体から支持されてもいない人たちが勝手に作ろうとしていることです。

 私はこれからの日本のことを考えるのであれば,何が国歌・国旗として国際社会のなかで,また私たち日本に住むものの歴史や感情をじゅうぶん表現しうるものかについての納得が是非とも必要だと考えています。

 ですから第1に「国歌・国旗は国民投票で」
      第2に「じゅうぶんに時間をかけて」
と考えています。今の国歌や国旗に賛成する人も反対する人もじゅうぶんに議論すべきです。

 そうした国民合意を手続を無視して「数」でものごとを解決しようとする今の政府のやり方はひどすぎます。

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最初のメールなのかな

投稿者名:山田太郎(仮名)
投稿日:Tuesday, July 20, 1999 at 07:39:28

 貴ネットが「日の丸」「君が代」問題で討論をおこなおうと呼びかけておられることに敬意を表します。でも、だれの意見も載っていないところに最初に書き込むのは、勇気がいるんですね。いつまでたっても一人の意見しかのっていなかったら、いやですからね。

 討論を組織するおつもりなら、役員のみなさんからでも、組合員のみなさんから寄せられた声からでも、紹介されてはいかがでしょうか。

 私は、国旗・国歌問題についての国民的な討論がはじまろうとしているときに、「日の丸」「君が代」法制化を強行しようとする政府・自自公のやりかたやこれまで学校に押しつけてきた文部省や教育委員会のやりかたに怒りをもつものです。

 貴ネットの試みの成功をねがっての提言です。

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